光のからくり芝居 写し絵公演

1999年3月5・6日 なかの芸能小劇場
芸術文化振興基金助成事業
主催 ■ 劇団みんわ座
共催 ■ 説経節・美音の会
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特別出演


  • 説教節政太夫
  • 若松辰太夫
  • 京屋麻希

スタッフ


演出 ■ 山形文雄
美術 ■ 田中佑子
種板復元修正 ■ 高尾寿彦
写し絵操作 ■ 田中佑子  嘉数正彦 仲亀達哉 高尾寿彦 相原美奈子 市村泉 渡部貴与志 桝谷芽虞美
制作 ■ 山形重和 山形真理子

演目


  • 「一の谷嫩軍記」(いちのたにふたばぐんき)
  • 「日高川入相桜」(ひだかがわいりあいざくら)
  • 「鼻曲がり三番叟」(はなまがりさんばそう)

「一の谷嫩軍記」須磨浦陣門の段 首討ちの段


潤色・演出 ■ 山形文雄
語り ■ 説教節政太夫

物語


  平家追討の狼煙を挙げよ。以仁王の令旨を受けて、源頼朝、木曽義仲が兵を挙げて都に迫っていた。都を落ちた平家一門は須磨の浦に陣をかまえ、追いすがる源氏を待ち受ける。
 武蔵の国の住人、熊谷直実の倅、小次郎直家は、初陣の手柄を立てようと一騎にて平家の陣に切り入るが、逆に傷を受けて父、直実に助けられる。子の面 目を晴らそうと父直実は、平家の武将に、勝負、勝負と戦いを挑む。激しい斬り合いの後に押さえつけた紅顔の武将は、時の参議、経盛卿の末子、敦盛公であった。 
 怪我をした倅、小次郎と年格好も同じ敦盛をみて、合戦の勝負が見えた今、この若者の命を奪っても意味のないことと、逃がそうする。それをみていた源氏の平山季重が、敵の大将を助けるとは、頼朝公への裏切りか、と騒ぎ立てる。吾が命これまでと敦盛は直実に、早く首を討って疑いを晴らせ、と直実に催促するのだった。子を思う親心と、名誉の狭間で心ゆれる猛将・熊谷直実の物語。

作品解説


  • 三月五日(金) 秋谷 治(一橋大学教授)
  • 三月六日(土) 倉田隆延(相模女子大学講師)

「日高川入相花王」清姫怨霊の段


美術 ■ 三輪久太郎
説経節 ■ 若松辰太夫
説教節 ■ 京屋 麻希

物語


 以前に泊まった旅の僧安珍を、清姫の許嫁だと父は話していた。その安珍がまたやってきた。優しい言葉をかけてくれるのを待っていた清姫に訳を話すこともなく、安珍は寝所から姿を消してしまった。恋しい思いを抱いて、清姫は安珍の跡を追う。だが安珍は、道を急ぐ先々で清姫の風体を話し、このような娘が私のことを尋ねたら、会ったことはない、いやお前さんの足では追いつかれぬ 、諦めて帰ったほうがよいと清姫に語るよう、安珍が様々な人に頼んでいたのが分かってきた。それならなんで二世の約束をした。安珍の心変わりを知った清姫は、怒りに燃えて尚も安珍の跡を追う。その清姫に足を止めさせる日高川が流れている。船頭は、安珍との約束を守って清姫を船に乗せてくれない。恋しさが憎しみに変わって清姫の怒りは凄まじく、川に飛び込んだ清姫は蛇体となって日高川を泳ぎ切り、安珍の逃げ込んだ道成寺へとたどりつく。

種板復元の難しさ


代表 山形文雄

 種板の復元は、殊のほか難しい。種板とはスラィドのフィルムにあたるもので、江戸から明治の中頃までは、手書きでガラスに絵を描いていた。
 いわばガラス絵である。種板の絵は、長い年月使用の間に顔料が落剥したり、ガラスが割れ、傷つき割れているものが多い。それの塵を払い、ライトボックスにのせ、スライドフィルムで撮影する。  
 元絵できれいなものももちろんある。きれいな絵の種板は、撮影したスライド・フィルムをそのまま使えるものと考えていた。だが風呂(スライド)で映してみると、元絵の、塗料を削って描いた髪の線や、絵の描かれない透明部分がねずみ色に濁り、はなはだ具合がよろしくない。 写し絵の特徴である「からくり」は、二枚のガラス絵を合わせて一枚の絵を構成する。
 例えばある人物の、首のない身体部分を一枚のガラスに描き、もう一枚のガラスに向きの異なる「頭」を二つ少し離して描く。その向きの異なる頭を瞬時に身体の上に移動して入れ替え、固定する。身体の一部を素早く入れ替えることで、絵に動きをあたえるのである。
 身体の絵は、移動してくる「頭」が固定される部分を透明にしておかなければならない。合成の絵は、二枚のフィルムを光が通 る。フィルムの透明部分に濁りがあると、光は二枚分増幅して濁った絵を映しだす。
 さて、撮影したスライド・フィルムを光を通して見るとガラス絵の輝きがない。暗く沈み、透明感が失せている。
 露光の失敗なのかもしれない。それならと露光を変え、フィルムもいろんな種類でテストをするのだが、どうしてもガラス絵のもつ透明感を再現できなかった。
 もしかして?。閃いて撮影をしないで現像にだしたフィルムを光に翳してガラスと見比べてみたら、透明ではあるが微妙な青さがあり、抜ける透明感がない。原因はフィルムにあった。そこで考えついたのが、写 真製版のフィルムだった。試してみると、透明部分がフィルムに比べて格段に光の抜けがいい。これは使える。
 そこで撮影した絵をコンピューターに入力し、フィルムの赤や青、黄色の色をぬ いていき、モノクロになった絵を残す。浮世絵の最初に刷る墨版と思えばよい。そこで傷ついた基本の絵を黒色で修復し、プリントアウトしたものを写 真製版に出す。その写真製版のフィルムに、あらためて元絵になぞって一枚ずつ彩 色していくのである。
 一つの作品に使われる絵は、およそ百枚前後の数になる。五センチ平方の中に、彩色をした一体の人物を描くのである。細密画のような小さな絵だ。それを元絵に近づけて一枚づつ彩色していく。細かい神経を使い、時間のかかる手作業である。
 みんわ座は、フィルムが熱で曲がらないように、プラスチックに貼り合わせて使う。ガラスにするがのが本来だが、落としたら割れる。それに気を使っていては、風呂を縦横に操作できないからだ。
 昔どおりに、ガラスに絵を復元する事は難かしかった。ガラスに色がなかなか定着しないのである。昔は、職人の秘密の技術だったから、資料として残っていない。
 顔料に膠を溶き、温度をかえ、これまた試行錯誤の連続だった。ようやく目安がついてきたが、それは次回にでも触れたい。

「江戸の夢」の再現


民俗芸能評論家 永井啓夫

 一八六八年、新しく明治政府が出来てから、日本人は「近代化」を目標に生活することになった。しかし、それ以前、江戸の町には電燈もなく、まっ暗だった。その闇のなかで、人間も幽霊も暮らしていた。水音は江戸人にとって涼しさであり、和紙で作られた障子に、花火や写 し絵の色彩も一きわ鮮やかに映った。
 光源は油火である。だから観客もせいぜい二、三十人であったろう。制限されることによって観客の心は無限の創造力をかきたてられる。
 写し絵の種板は、江戸時代の人たちの夢を現代に結びつけてくれた。しかし、現代の大ホールや電気という光源で、江戸時代の夢を再現するすることは難しい。
 みんわ座は、近代的な技術を駆使し、その近代の技法を隠すことによって江戸の夢をもう一度、再現させてくれた。私たちは安心して、和紙や乏しい光源の中で見た「江戸の夢」の世界に遊ぶことが出来るのである。