第十回 甦る写し絵と影絵の世界

2007年1月26日 東京芸術劇場 小ホール2
芸術文化振興基金助成事業

主催 ■ 劇団みんわ座

出演

新内仲三郎(人間国宝)
新内剛士
杵屋邦寿(伝の会)
石丸有里子(劇団 鳥獣戯画)
山崎之也(芝居舎)
奈良富士子(SOMEDAY)
中村ヨシミツ
吉岡鶴見
堅田喜代美
島村聖香

写し絵師 ■ 平成玉川文楽
江戸 写し絵と影絵芝居 操演 ■ 劇団みんわ座(山形文雄 田中佑子 牧村守倫 嘉数正彦 仲亀達哉 相原美奈子 品田篤志 船木傑)

スタッフ

演出 ■ 山形文雄
美術 ■ 田中佑子
照明 ■ 渋谷博史
舞台監督 ■ 仲亀達哉
種板製作 ■ 牧村守倫 嘉数正彦 品田篤志 船木傑
種板彩色 ■ 相原美奈子
制作 ■ 山形重和 山形真理子  伊藤博志

演目

  • 江戸 写し絵「風流 江戸の賑わい 〜魔界からの捜索者〜」 長唄・芝居よる
  • 江戸 写し絵「日高川入相花王」新内節による
  • 影絵人形劇「鼓くらべ」

ご意見・ご感想の紹介

 2007年1月26日池袋東京芸術劇場におきまして上演いたしました「甦る写し絵と影絵の世界」。おかげさまで当日はご盛況を頂きました。
 ここに劇団員一同、お礼を申し上げますとともにお答えいただいたアンケートの一部をご紹介させていただきます。
  • 写し絵と芝居が一緒になってておもしろかったです。こんな舞台があるのだなと、驚きをもって拝見しました。芝居あり、新内あり、色々な表現で見せて頂きとても良かったです。
  • 写し絵の技術も、演出も、三味線もよかったし、中でも新内節は久しぶりに聞きましたがほんとうにたのしみました。
  • 鮮やかな色彩と多様な表現には毎度驚かされる。一流の演奏による懐かしくも楽しい世界。
  • ギターと鼓のすばらしさにびっくりしました。作曲が良かったのか…
  • 人形の動きがおもしろく色彩がとてもきれいでビックリしております。
  • なんというぜいたく。新内節のひびき、三味の音。至福でした。

定期公演 十年と明日に向かって

山形文雄(平成玉川文楽)

 「甦る写し絵と影絵の世界」と銘打った公演は今年で十一回目となる。
 これまで、公演に際してその時々にかかえた問題を小文にしてきたが、初演から通して観ていただいたお客様は少ないので、十年を区切りとした歩みを述べてみたい。

 初演は芝にある「ABC会館ホール」で行われた。「写し絵」なる芸能を知る方々はきわめて少ない時代だった。
 この初演に先立って十五年近く調査と試行錯誤をして機材復元に努めた期間があった。調査を始めた頃の大きな問題は、「写し絵」の諸道具を管理収蔵する教育委員会や個人管理者から、門前払いの感で見せて貰えない事だった。
 素人がちょっと道具を見ても、この芸能の意味することを理解するのは難しい。ましてや、「種板」はガラスに手書きした一点もので、落として割れたら復元できない。貴重な文化財ともいえるものだから、せっかくだが見せられないという共通した断りだった。仕方なく、ある博物館が参考に見せてくれた、小林源次郎氏がガリ版刷りで出された私家版「うつしえ」を参考にしての試行錯誤が続いた。
 「うつしえ」には、映像を映す「風呂」の図解がある。けれど、光源とレンズの関係がよく分からない。レンズの焦点距離と、種板の絵との関係もある。
 みんわ座は影絵芝居を演じている。その中でスライドは重宝してよく使う照明器具であった。日常使うスライドをばらし、「風呂」の機能との共通項を探って、多くの「風呂」を作り壊し改良を続けた。かなり見通しがたったところで、かつて断られた小林源次郎氏に、復元に努めている現状を報告し、行き詰まっている問題点の指導を仰ぐ再度の手紙を書いた。
 問いに、詳細な説明をした手紙が直ぐに返ってきた。書いてくれたのは、父、源次郎氏と共に写し絵の調査に同行していた、芝綾子さんからだった。
 芝さんから後に聞いた話では、NHKテレビで、「写し絵」の復元に努める源次郎氏が紹介され、実に多くの方から、ちょっと見せてほしい、やってみたいから教えてほしい、という申し込みが殺到したという。滅んではもったいない芸能と思っていた源次郎氏は、丁寧に応対していたが、結局はちょっと見で、誰も実際に手をつけた者はいなかった。もう誰にも教えない、と怒り心頭に発していた頃に、私が説明を求める手紙を書き、剣もほろろの応対になったらしい。
 私の手紙に、「これほどにまで、よくやりました」との返事が来て、その後は打てば響く懇切丁寧な説明がくるようになり、その後は最大の助言者になってくれた。
 上方には「錦影絵」と呼ぶ、技法としては写し絵と同じ芸能がある。
 関東を中心に調査していた小林源次郎氏に対して、錦影絵を調査していたのが、倉敷市在住の「山本慶一氏」だった。
 氏の「江戸の影絵遊び」という研究書が発刊されてすぐ、氏を訪ねて倉敷へ飛んだ。わたしが氏の家で壁に映された錦影絵の実際に触れた最初だった。山本慶一氏は倉敷、下津井の人で、瀬戸内を中心に民俗資料を多く集め、個人で博物館を作った人である。
 山本氏からは、種板の画像やこれまで氏が集めたビデオテープを多く頂いた。二度、三度と通い、瀬戸内を見下ろす岬の上に建つホテルで、夕食を摂りながら錦影絵、氏のライフワークであった手妻(手品)の話で、夜遅くまで話を聞いたのが強い印象となって今に残る。
「写し絵」の初演は、前に書いたが、平成五年の「ABC会館ホール」である。
 その初演の前、お世話になった小林源次郎氏が二ヶ月前に逝去された。
初演を楽しみにしておられた山本慶一氏は、暮れに体調を崩されて上京できなかった。それがあろうことか、初演の三ヶ月後に、小林源次郎氏の後を追ったのだった。
 このお二人の助言がなかったら、このように早く写し絵の復活公演はできなかったに違いない。
 後日、芝綾子さんから、「執念のように写し絵の調査をしていた父が、後世に伝えたいとアイデアを凝らしていましたが、山形さんは父の考えていた以上の、大きなものにしてくれました。父もほんとうに喜んでいると思います」という声をかけて頂いた。
公演終了後、倉敷・下津井の家を訪ね、霊前に初演の報告をした。その折り、奥様が山本慶一さんの言葉として、「私がやり残した仕事はいろいろあるが、錦影絵については山形さんがやってくれるから安心した」と語ってくれました。
 図らずも、写し絵復元に最大の援助を頂いたお二人が、初演を挟んで亡くなられた。偶然であろうが、研究のあとを継がねばならないという運命的なものを感じたのが初演の頃の印象であった。
 写し絵の種板は古いのは江戸期のものがあり、明治初期のはかなり残っている。けれど、なにぶんにも昔のものだ。上演の際、壊れたものが多い。ガラス絵は桐の板に細工し、嵌められている。長い年月の間に板は腐食し、ガラスがはがれ落ちているものも当然多い。保管されていてもガラス絵が割れ、そのままで上演に耐える作品は少ない。
 その古い種板復元に威力を発したのがコンピューターだった。
 劇団で美術を担当する田中佑子が、焼失した法隆寺の障壁復元にコンピューターを使ったというテレビ放送を見て、失われた絵の復元を思いついた。
 残された外題の種板をすべて画像として記録する。そして、台本に沿って登場人物を想定し、その人物の頭や着物、足裁きなどの部分を残された画像から取り出し、部分を寄せ集めて失われた画像を復元した。画像を大きくしたり小さくしたりするのは、コンピューターの得意な仕事である。
 このような作業をして、平成十七年一月、大阪歴史博物館が収蔵する錦影絵の種板、「池田の猪買い」を大阪芸術大学に複製品として納入した。同年三月、日本大学芸術学部へ「関取千両幟」の復元と「風呂」等の機材を納入した。
外国からの反響
 「2001年英国における大型日本文化紹介年」に参加し、三月末から四月にかけて、英国を三週間巡回した。バーミンガム市で開催されたマジックランタン協会のフェスで、ヨーロッパで最初となる写し絵上演を行った。
 マジックランタン(幻灯)は基本的に一台の幻灯で映像を映画のように大きく映す。それに対して、写し絵は六〜十台くらいの風呂と呼ぶ幻灯機で小景を映し画面を構成する。
 始めて映される写し絵の画面をみる人達にとって、同時に映される四・五人の人物が個別に動き回るのが驚きだったようで、ついには客席から移動し、いつの間にか客席は空になり、写し絵の舞台裏へ移動して観劇するという騒ぎになった。それに続きロンドン大学、ポーツマス市、ソールズベリー市と同じような現象を生んだ。
 ブライトン市で開催された映画祭では最初に印刷された映画祭案内のチラシに「切符売切れ」と書かれていた。このような事はほとんどあり得なかった事だと主催者から聞いた。
後日談
 平成十六年オランダからマジックランタンのパフォーマ−が、写し絵の技術を学びたいと来日した。みんわ座が英国で行った公演がビデオに撮られ、彼女はそれを観て写し絵の技法に興味を魅かれたのだという。みんわ座で写し絵を学んだ彼女がその技術を生かして最初の作品を作り大好評である。
 そして今年の正月明けに、彼女のパフォーマンスを見た蘭日学会の理事からメールをいただいた。みんわ座をオランダに招待し、彼女と一緒にオランダを巡回しないかという内容だった。オランダは江戸の明和年間に、日本に幻灯機を持ち込んだ国である。なんとも嬉しい話であった。
 今年四月、国立フィルムセンターで「国際フィルムアーカイブ連盟東京会議」が開催される。そこでの上演について問い合わせがあったが、そのきっかけは国立フィルムセンターの会議担当者がヨーロッパで「日本に行ったら写し絵が観られますか?」と尋ねられた事に由来するという。
 今、ワシントン市での公演について、「アメリカマジックランタン協会」からも打診を受けている。日本の古い伝統芸能をより現代的に発展させようとする動きが、ヨーロッパの方にこそあるのかも知れない。
 「写し絵」を現代の芸能として再生するにはどうしたらよいのか。目の前に大きな課題がぶら下がっている。