写し絵芝居噺・あたま山

1997年3月29・30日 六本木俳優座劇場
主催 ■ 劇団みんわ座

スタッフ

構成 ■ 榎本滋民
演出 ■ 山形文雄
美術 ■ 田中佑子 高尾寿彦(原画修復) 米山直秀(種板絵付け) 高尾泉(種板絵付け)
音響 ■ 桑原睦
音曲 ■ 田中ふゆ社中
太鼓 ■ 柳家さん市
風呂修復 ■ 嘉数正彦
からくり ■ 大畠利恵 佐々木卓
種板製作 ■ 周藤法男 稲田朋子
衣装 ■ 相原美奈子
舞台監督 ■ 仲亀達哉
制作 ■ 牧村守倫 山形真理子 橋本康男
企画 ■ 山形重和

演目

  • 「あたま山」 落語 ■ 柳家さん喬
  • 「だるまの夜這い」 絵噺 ■ 梅田佳声 写し絵種板 ■ 島崎敏夫蔵
  • 「勧進帳」 説経節 ■ 若松政太夫

写し絵芝居噺・あたま山

頭に桜が芽を出し花が咲く。ケチな男は寝もやらず、桜を抜いたら頭に池ができ・・・
現代のSFをも超える江戸古典落語の傑作。

そのため口上

榎本滋民

 河竹黙阿弥の滑稽所作事『其儘姿写絵』は、写し絵の絵像が抜け出す奇瑞という趣向により、役者が浄瑠璃を地方に踊る舞台で、幕末元治元年(一八六七)当時の大人気を反映しているが、写 し絵の寄席における初演は、それより半世紀以上も前の享和三年(一八〇三)のことだというのだから、観客の印象はさぞかし強烈だったろう。
 昭和初年にしては古い土地柄に育った私は、「月に叢雲花に嵐、ままにならない世の習い」といった口上で屋台の中の絵がからりと変わるのを、全面 のレンズから見物する「覗きからくり」や、紙芝居様の額縁舞台に登場する厚紙串足つきの紙人形が、勾欄に灯した小蝋燭や中に仕込んだ鏡に照らされて、裏表返りながら芝居をする「立ち絵」などに胸を踊らせた経験から、それらの祖形である写 し絵の蠱惑的な衝撃を、逆推することができる。
 生まれ落ちるとからエレクトロニクス・コントロールの下にある現代の新々々人類は、映像のアニメーションやSFXやコンピューターによるシュミレーションやグラフィックスに習熟し、バーチャル・リアリティとやらを当然のように受容しているが、これが幼稚単純なからくりに驚倒していた旧々々人類より幸福かといえば、決してそうではない。
 どきどきわくわくの感動は、脳細胞を活性化し、衰弱した肉体にエネルギーを賦与するのだが、これが電子映像に欠落しているのは、そこに人間の手練の技芸が介在しないからである。大衆芸能の神髄でありアニメーション本来の語義でもある生気・活力の回復のた めに、アニメーテッド・カートゥーン(動画)の原初形態である写し絵と、それが所属する寄席の王者であった落語というパワーフルな口承芸能をドッキングさせてみた。
 写し絵と落語が、人形浄瑠璃における人形と浄瑠璃のように、双方優位にも劣位にも立たず、対等に旺盛な自己表出をしながら、緊密な相乗によってさらに高次の境地を形成することができるまでには、幾多の試行錯誤をへなければなるまいが、そのスタートを切った演者双方の敢闘に御声援をお願いしたく、今回は時間がないために名前を出しただけの構成者に、そんな資格はないのだが、まずはそのため口上さよう。

落語「あたま山」と江戸の美学

永井啓夫(日本大学・研究所教授)

 幸田露伴は、明治期落語界に中興の祖とされる三遊亭円朝について、「円朝は人情噺では古今第一の成功をしましたが、をかしみだけは成功したといふ訳にはいかない」と激しく批判している。露伴のいう「をかしみ」は、江戸小噺にあるシャレの精神だった。
 明治三十年に執筆した随筆「すずみ台」の中で露伴は、自分好みの江戸小噺を紹介している。例えば「鯨」である。
 「おらは昨夜、鯨の夢を見たが、さても大きなものであった。それは、どれほど。あの、くらやみほど」夢の中とはいえ、つかみ所のない大きさを簡明に捕らえて江戸っ子の笑いを誘ったのであろう。「牡丹燈籠」や「塩原多助」など、新作の長編人情噺に腐心する明治時代の円朝は、江戸の美学から考えれば、ヤボの塊だったにちがいない。
 こうした江戸好みの代表作が「あたま山」だった。初出は、安永二年(一七七三)版の「座笑産」所収の「桜の木」で、この前後からいろいろの落語家によって口演された。
 頭に生えた桜の木が、花時になると花見客で賑わう。それがうるさいと自分で根こそぎにすると、そこに水が溜まって池になる。夏が近づくと涼み船がでて賑わう。そのうるささに無情を感じて自分の頭の池に身を投げる。
 よく考えればありえないことだが、ふと主人公の心理も理解できそうな気がする所にこの噺のシャレがある。江戸系の「うつし絵」にふさわしい題材といえよう。
 近年になってもこの噺の人気は衰えず、昭和三二年十月、安藤鶴夫作詞、山田抄太郎作曲のユーモア邦楽としてNHKから放送され、近代長唄の代表作として流行している。
 「あたま山」は、露伴のいう江戸小噺の趣味からうまれ、シャレの気分に終始している。
 この度は、柳家さん喬さんの語りに、写し絵芝居噺として劇団みんわ座が再生することとなった。露伴先生はすでにこの世においでではないけれど、闇の中に描き出される美しい色彩 に、江戸の洒脱精神を偲びたいと思っている。

「だるまの夜這い」


 写し絵の調査に全国を歩くと、しばしばだるまの種板に出会う。絵は傷つき割れているガラスが多く、幕末、写し絵で最も人気のあった作品だと聞いていたが、絵の不足から復元は難しいと思われた。
 ところが思わぬ所に手がかりがあった。「玩具絵」である。
 明治二十年代になると、子供向けに木版刷りの「玩具絵」が登場する。一枚一銭位で駄菓子屋で売られていた。
 玩具絵は厚い紙で裏打ちし、絵に竹串を張り付け、紙で作られた舞台で芝居を演じていたものもある。これも写し絵とか、立ち絵とか呼ばれて江戸の写し絵と紛らわしいが、その中に「滑稽だるまのうつし繪」というのがあった。
 子ども向けのものだから、さすがに「夜這い」の題名は消えているが、胸乳をだしてだるまと格闘する姿はそのままで、江戸の写し絵からの流れを受けたものであることが推し量れる。復元の資料に役立ったことは申すまでもない。

「勧進帳」

 源義経は兄の頼朝と不和になり、奥州藤原氏をたよって弁慶達と山伏姿に身を変えて都を離れた。
 加賀の国安宅の関では義経主従を捕らえんと関守富樫が待ち構えている。
 弁慶は架空の勧進帳を読み上げて通過しようとするが、富樫は義経を見破って捕らえようとする。
 弁慶は断腸の思いで義経を金剛杖で打ちすえる。それを見た富樫は・・・。
 ここまでは歌舞伎の勧進帳と同じストーリーです。今回は上演しませんが、 安宅の関に辿り着くまでの前段階と云うべき物語が説経節にあります。
 弁慶が関所破りをしようとして抜け道をさがしているうちに、まんまと村の子ども達に騙されてしまい、悔しがって傍らの松の木をひねると、松の木が捻れてしまうと云う「安宅のねじり松の段」です。
 ユーモアにあふれた楽しい説経節です。

劇団みんわ座と別海町 共に文化を創る仲間として

北海道・別海町教育委員会 教育長 葛西祐

 以前、当別海町で観せて頂いたことのある「江戸 写し絵」を、より本格的な形で公演することになったとの知らせを聞いて、当教育委員会職員一同、心から喜んでいる次第です。
 思えば当教育委員会とみんわ座との出会いは、今から八年前、当町の学校巡回公演が終わり、ささやかなものでありましたが、歓迎会の席上、「別 海町は実業団体育合宿のメッカとなっているが、文化団体の合宿はできないものか」といったことが話題になり、これがきっかけで、平成四年から毎年八月にみんわ座が合宿にこられるようになり、それ以来、双方気のおけない友人のような関係で交流をさせてもらっております。
 合宿にこられた時には、影絵公演を町内三カ所公演して頂く他、切り絵の講習会、影絵の技術指導等も行って頂いており、当町に影絵サークルが発足するなど、合宿が刺激となり、当町の文化振興の底上げが着実に図られております。
 地域文化の定着には、それ相当の年月を要するものと思っておりますが、そういった意味において、今まで同様、肩肘の張らない交流を今後とも、末永く続けさせて頂きたいと思っております。
 みんわ座の今回の公演のご成功と今後の発展を祈念しております。

劇団みんわ座さんと「山の子学園」の仲間たち

山の子学園共同村  施設長 金子正行記

 あれからみんわ座さんとは十五・六年もの長いお付き合いになりましょうか。それも年に一度、七夕さんの彦星と織姫が必ず出会うような関係が続いている。 長野県長門町にある山の子学園共同村は信州蓼科山の裾野、標高千三百Mの白樺林の中に立地して、知的障害者と云われる五十名の仲間達が、土を耕し、牛を飼い、粘土をこね、それぞれの役に応じて、四季折々の笑いと喧嘩の渦の中で暮らしを立てている。
 最初に影絵劇が上演されたのは、八月のある夕食後の学園の食堂であったことのように記憶している。その「光りと影」の織りなす物語は、四方の窓ガラスに反射して、初夏の木々を揺らし、桃源の世界へと誘っていった。
 初めて生で観る影絵劇に、言葉のない山の子たちも目をじっと凝らし、拍手喝采で悦びを表現していた。
 それから、山形団長さんの「人形劇文化の普及」という強い思いも有り、「人形劇フェスティバルと銘打って、地元町民の中へ飛び出していった。
 長門町教育委員会を後援に、数々上演された中でも、「ごんぎつね」。「ごんのお話は、可哀想で泣いてしまった。でも、またお人形のしばいを見たい」(まだ字が書けないので、母が代筆しました)との感想も頂いた。
 山形さんが、山の子の為にと台湾から呼んで下さった「李天禄老師の布袋戯」ーその技は人間国宝及と町民の絶賛を頂き、又、夜の更けるまで人形使いの指導を受けたことが、昨日の事のように胸中に熱く甦ってくる。
 これからもずっと・・・、みんわ座さんと山の子学園の仲間たちとの澄んだ心の繋がりを大切にしたい思っています。